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映画⑤ 「映画は社会を映し出す鏡?」

[2024.11.01]

社会派ドラマと云われる分野があります。古くはシドニー・ルメット、オリバー・ストーン監督らの作品がそのように呼ばれています。彼らによれば、「映画はただ面白ければいいというわけではない。社会への提言をいかにエンターテインメントにするか」が重要だそうです。

さて、今回書くのは「ジョーカー フォリア・ドゥ(2024)」です。ご存じの通り、アメコミヒーローであるバットマンの悪役のスピンオフドラマ「ジョーカー(2019)」が好評を博し、その続編が本作です。

前作「ジョーカー」は、稀代の悪役ジョーカーが誕生するまでの物語でした。心優しき青年アーサー…とはいっても、貧困、難病、ヤングケアラーといった社会の苦汁をさらに煮詰めたような生活を送っている青年の心の中で、ひっそりと大きくなった別人格が覚醒。その豪快で罪悪感のかけらもない犯罪行為に、同じく社会の底辺で暮らす群衆たちがジョーカーの犯罪に熱狂し、大暴動を起こすシーンで前作は終わります。

続編の今回は、映画は全編にわたり、刑務所で囚われの身となったアーサーの裁判が行われ、その最中に再び覚醒したジョーカーが登場します。この映画の結末に幻滅した観客が多かったのか、映画は不評だったと報道されました。映画のストーリーだけを見るとそうかもしれません。そう、ストーリーだけを見ると。

2021年、東京の電車内で無差別に人を襲い、火をつけた男が逮捕されました。犯行時、映画「ジョーカー」そっくりの服装で、これまた映画のように悠々とタバコを吹かす動画が世界中に拡散されました。ちょうどハロウィン当日だったこともあり、「何のコスプレだ?」と警官に尋ねられた彼は、これはコスプレではなく正装だと憤慨したと報道されました。この男もアーサーのように人生に行き詰まっていたようです。犯行後、タバコを吹かす彼を撮影するスマホの群れが、彼の目には自分の行動に感化されて暴動を起こす群衆にでも見えていたのでしょうか。

ジョーカーの2作品を手掛けた監督は、自分の映画に感化され、このような行動を起こした人たちの事件を目にしたことでしょう。そして、アーサーは可哀そうな男ですが、決してヒーローでもヴィランでもないことを、映画を通して伝えようとしたのだと思います。

そのような意味で、一作目の「ジョーカー」はエンタメ映画でしたが、二作目「ジョーカー フォリア・ドゥ」はいささか説教くさい社会派映画になりました。とはいっても、この不合理な社会で生きる弱者に対するその視点が、私は好きです。

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