森山直太朗の「生きてることが辛いなら」に寄せて
最近、「生きてることが辛いなら」という曲を聴きました。
聴くのは初めてですが、世に出たのはもう10年以上も前だったと知ってびっくりしました。一度でも聴いたのなら忘れられない、こんなに強く人の胸を打つ音楽をなぜこれまで知らなかったのだろうということにです。
精神科医として日々言葉で物事を理解し、理解したことを言葉にする仕事をしている私が、この曲を聴いてなんとも思わないはずがないとさえ思いました。単に偶然、聴いたことがないだけだったのでしょうか。
しかしこうも考えるのです。もしかするとずっと前に耳にしてはいたが、あまりに激しく心に響きすぎて耐えられず、聴きたくなかったのかもしれない、と。
聞くところによると、当時「自殺を肯定する歌」だと糾弾されもした曲だといいます。確かにそう受け取れる部分がないでもないですが、曲のタイトルからして、その答えが歌詞の中にはあるようでいてはっきりとは書いてありません。それどころか“見るがいい、守るといい、とっておけ”と、厳しいとも思える言葉が並んでいます。そういった意味で生きることが辛いと思っている人にとっては耳をふさぎたくなる気持ちになるのかもしれません。
しかし本当にこの曲の、その言葉を必要とするであろう人とは、生きてることがほんとうに辛いその瞬間ではなく、辛さを超えたそのあと、クタクタのボロボロになった時ではないかとも思うのです。
真実の言葉がその正しさ故に嫌われることがあるということを私はよく経験します。たぶん、弱った心が真実の重さに耐えられないからなのかもしれません。この歌は、この先どっちに向かうか分からない今をなんとか生きている人へ届ける言葉であり、またそのような人の胸の内を想像して欲しいという願いを込めた言葉のようでもあると感じます。
