映画② 「ゾンビ映画に別れの悲しみはない」

「ゾンビ映画に別れの悲しみはない」

大切な存在を失う苦しみは耐え難いものです。「失ってしまったものは仕方ない」と喪失を受け入れられればよいのですが人の心はそう簡単には割り切れないものです。うつ病は、失ったものへの執着が強すぎるがゆえにいつまでも自分を責めてしまう心理があります。私たち日本人の感情はこれが自然なのですが、外国はちょっと違うようです。

2018年、日本の映画界最大のヒット作といえば「カメラを止めるな」でしょう。我が国ではゾンビを扱った映画はヒットしない傾向にあるなか、純国産ゾンビ映画としては予想だにしない高収益をあげた作品といえます。爆発的な面白さの理由は、絶対に映画でしかできない緻密に計算されたカメラワークと、そして家族の結びつきを描いているからでしょうか。通称‟ゾンビ映画“と呼ばれるこのジャンルは日本より海外でたくさんの作品が作られ続けています。見た目には決して美しいとは言えないこのようなジャンルがなぜ海外では人々に受け入れられているのでしょうか。

私が思うにそれは宗教観の違いから起きる心の動きの違いです。日本人にとって愛する相手を失うことは『悲しみ』にほかならないのですが、海外ではそれが『恐怖』と感じられるようです。ゾンビ映画は、ついさっきまで身近だった人がゾンビに喰われると一瞬で怪物になって襲ってくるのが定番で、その恐怖の根底にあるのは愛するものを失う怖さです。その恐怖への共感が観客を引きつけるのですが、悲しみを感じることが自然な日本人にはどうもしっくりきません。亡くなった人に対する畏敬の気持ちが感じられないからです。むろん外国人も死者は敬うし悲しみも感じるのでしょうが、その前にある恐怖心はおそらく民族的な感情なのでしょうね。